「一緒に死のう」そんな辛い経験が私の強み

あの時のことは
今でも不思議と覚えているんです

 

 

小学1年生の夏休み
友だちと遊んで帰ってきたとき
母が「私の異変」に気付きました

 

ちょっとこっちへ
いらっしゃい!

 

母は私の身体を見て
すぐに近所の医者につれていきました

 

そこの医者では
私に何が起こったのは分からず
名古屋の大学病院を紹介され

 

そこから私の人生は変わりました

 

 

原因は何か分からないけど
突然私の右足のかかとがつかない
歩くときは右足のかかとが浮いて
右足だけつま先歩きになる

 

そのときは
病名は聞いたか聞いていないか
覚えていないけど今調べたら
「尖足」という病名(?)らしい

 

 

その病気になるまでの私は
活発で友だちの中でも率先して
何でもやっていたけど

 

その病気になって
人と交わることを避け壁を作る
暗い暗い子どもになっていきました

 

今でも人に対する壁はあります

 

(幼稚園入園のとき)

 

ほら小学生って
遠慮がないじゃないですか

 

どうしてそんな足なの?

 

って母親と一緒に歩いていたら
子どもが駆け寄ってきて
私の足のことを聞いてくる

 

同級生とケンカになると
決まって足のことを言われるし
イジメのようなことも受けた

 

また、赴任して来たばかりの
学校の先生には
「どうして『気を付け』をしないの!」
と叩かれたこともある

 

あの先生は今でも
ブン殴ってやりたいと思う

 

 

また、ある医者は私と母に

この子は
「脳性まひ」だから

青い鳥学園に入れなさい

って

 

青い鳥学園というところは
障がい者が通う学校で
要は普通の子どもではない
障がい者として生きることを
突き付けられた

 

この子は必ず治りますから!

 

まだ若かった母はショックを受けながら
医者を怒鳴りつけてその病院を止めました
その他にもおかしな医者はたくさんいて
その時から私の医者嫌いが始まりましたね

 

後から聞いた話ですが
当時、私の母は
私が辛くて死にたいと言ったら
一緒に死ぬつもりだったらしい

 

(今はこんなだけど)

 

小学生時代の夏休みなどの
長い休みは全て大学病院で検査入院
名古屋の大学へも東京の大学へも
検査入院しました

 

その検査もたぶん痛いという検査は
全てしたと思います
一番痛かったのは脊髄に針を刺して
髄液を抜く手術。小1にはだいぶキツかった

 

この子は普通に就職できない

 

親にそんな気持ちもあってか
一般の会社に就職するのではなく
何か資格を取ってその資格を活かして
働くしかない

 

私自身も小学生の時には
自分は就職も結婚も難しいだろう
きっと一人で生きていくんだろうな
そう決意してました

 

 

かかとがつかないから
アキレス腱を伸ばす手術を
小1、中1、と受けましたが

 

小1も中1も成長期で
私の身体の成長とともに
伸ばしたアキレス腱も元に戻り

 

成長の止まった20歳の時の手術で
ようやくかかとがつきました

 

 

自分が障がい者として扱われたこともあって
障がい者や迫害されている人
弱い人、困っている人の本をたくさん読んだ

 

司法書士になったのも
法律を使えば弱い立場の人を
助けられると思ったから

 

開業したときは
借入金の返済ができず困ってる人

 

そして、今は
70歳以上のおひとり暮らしの方を
サポートして助けています

 

同居する家族がいれば良いけど
そうでなければひとり暮らしは
とても心細いし、身体を壊したり
認知症になれば弱い立場になります

 

私は自分が障がい者として扱われ
弱い立場にあったのでそういった
弱い人の目線に立ってサポートができる

 

それが私の「強み」なんでしょうね

 

 

先日、広島で板坂裕次郎先生の
「自分の強みを見つける勉強会」に
参加した時

 

自分の強みは
過去に克服した
辛い経験の中にある

 

そう教わり自分の辛い経験の
たな卸しの意味を込めて
今まで文章にしてこなかった
自分の経験を文章にしました

 

やっぱり文章にするのは
少し辛かったですね

それではまた!

好きです司法書士

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