梅子は良いとして
さすがに「捨松」は可哀そう
学問を修めることも
職業を持つことも
未婚を貫くことも難しかった
そんな時代に何を想っていたんだろう?
70歳以上お独り暮らしの女性を
「見守り契約」で元気なときから
もしもの時までサポートする
司法書士村瀬なおひとです
土曜日に放送していた
「津田梅子~お札になった留学生」を
見てみて、知らないことが多すぎた
① わずか6歳で留学していた
② 帰国したのは17歳のとき
③ 2度留学していた
私の知識では
「津田塾大学を作った人」ってだけで
なんも知らなかった
津田梅子はもともと
「うめ」という名前を梅子と改名したけど
捨 松
「さき」から「捨松」に改名させられた
山川捨松ってあんまりにも可哀そうで
女性としての生き方もも親に決められる時代で
名前も親に変えられる人生ってあんまりだ
そして津田梅子について
私が知らなかったことは
生涯独身を貫いたこと
女性は結婚するもの
女性は男性に添い遂げるもの
そんな価値観の時代のなかで
梅子はどんな決意を抱いていたんだろう?
お札になる偉人たち
梅子は64歳で亡くなって
その当時は昭和初期だから
まだ「家」に重きが置かれていて
梅子の財産は「津田家」のものになり
梅子の家の後片付けや
葬儀などは「津田家」が
取り仕切るだろうけど
もし梅子が
令和に時代に生きていたら
どうなっていただろう?
まず間違いなく
大正時代よりは学びやすく
職業にも就きやすいだろうけど
その反面
「家」の意識は薄まっていて
個々人が尊重され権利意識も高いから
「津田家」が全部相続するのではなく
相続人個々が相続したいと言うかもだし
ひょっとしたら「いらない」と言って
相続放棄するかもしれない
大正、昭和の時代なら
財産をもらったのなら
責任もって後始末するだろうけど
令和の今はどうだろう?
義務を履行しない
「権利を主張して義務を履行しない」
とは財産もらうだけもらって
後始末つまり、お葬式などをしない
そんなこともあるかもしれない
大正、昭和なら口約束や覚書で
「後始末頼む」とするしかないけど
令和の今に梅子が生きていたら
梅子が信頼する身内な友人、知人
それこそ山川捨松に
見守り契約で
捨松に後始末を頼むこともできるから
まちがっても梅子が亡くなってても
後始末をほったらかしにはされない
「見守り契約」については
こんなブログも書いています
いらんくない? スマホ?スマホなんていらんでしょ? 自分の家を処分して自分で望んで介護施設で暮らし始めた人がいます 私はその方と「見守り契約」を結んでいて[…]
ちゃんと契約書を作って
「見守り契約」をしておけば
後始末を人に頼むことはできるけれど
これも私は知らなかったけれど
津田塾大学って梅子の死後19年経って
設立されたんだって
大学設立のような大事業を
梅子の死後に意思を引き継いで
誰かが成し遂げた
「見守り契約」のような
契約書を交わしたわけでもないのに
意思を引き継ぐなんて
おじいちゃんみたいなことを言いますが
昭和っていい時代だったんだな
昭和生まれを誇りに思います
それではまた!
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