PLOFILE
村瀬なおひと
【昭和47年7月26日生】
木村拓哉と同級生で動物占いは「パワフルな虎」
【血液型】
「ぜったいB型でしょ」と言われるA型
【出身地】
岐阜県関市生まれ 名古屋市と岩倉市育ち
【出身校】
愛知県立一宮西高校→河合塾→同志社大学法学部法律学科
【部 活】
陸上部→軟式テニス部と陸上部→ラグビー部→ラグビーサークル
【長 所】
気が短そうに見えて、意外と気が長い
【短 所】
オブラートに包まずしゃべること
【好きなスポーツ】
サッカー、ラグビー
【趣 味】
積読 SNS 行き先を決めない一人旅
司法書士を目指したきっかけ
小学1年生で原因不明の病気にかかり
夏休みは東京や名古屋の病院で検査入院し
世の中で痛いと言われる検査は全てしました
漠然とですが小学1年生のときに
将来は「人の役に立つ仕事に就こう」と決めました
ただ、最初は医者になりたかったのですが
中学高校の理数系の成績が絶望的に悪くて
早々と医者の道をあきらめ
「法律でも人の役に立つ」ことが分かり
大学も法学部だったので
弁護士が良いなと思いましたが
たまたま司法試験予備校で
司法書士の平均年収は1千万円
という情報に踊らされ
司法書士という職業を知り司法書士を目指しました
が、司法書士も合格率僅か3%の超狭き門で
ミスターチルドレンの「抱きしめたい」が延々と聞こえる
幻聴に悩まされつつ、気が狂う一歩手前まで勉強して
ようやく司法書士試験に合格しました
司法書士になってから
ようやく司法書士になりましたが
実は司法書士がどんな仕事をするのかを
知ったのは試験に合格してから
多くの司法書士は不動産会社や
銀行から不動産売買や住宅ローンの仕事で
生計を立てていることを知りました
「用事がなくてもマメに足を運ぶこと」
「いい仕事をしていれば、きっと誰かが見てくれている」
という、先輩司法書士の話を信じて
愛想笑いをして用事もないのに
不動産会社、銀行に足を運ぶけれど
仕事なんて取れません
それに私の描いていた司法書士像と違って
司法書士って銀行や不動産会社の下請けで
私がしたかった「人助け」ができない
「道を間違ったかな」
そう思っていた時
ある先輩が
「相談者がたくさんいて困ってるから
手伝ってくれない?」
そう声をかけてくれたので
多重債務問題つまり消費者金融、カード会社からの
借入金の返済に困る人たちの支援を始めました
多重債務問題
2002年当時は今みたいに
ア〇ィーレ法律事務所とか〇〇法務事務所が
あったわけじゃないくて
多重債務に苦しむ方の相談窓口は限られていました
なので、開業したての私のところにも
相談者の方がたくさん来られて
月10件、20件とどんどん相談者が増えていきました
当時の司法書士業界は
「司法書士は登記で食べていくもの」
「多重債務などは邪道」
と多重債務に関わる司法書士を
低く見ていましたが
私は天職を得た思いでした
多重債務って
ただ借金の整理をするだけじゃくて
ギャンブルなら「ギャンブル依存症」の向き合ったり
生活苦なら生活保護を考え
ヤミ金なら警察と連携して
時には夫婦、親子の関係にも立ち入ることもある
大変な仕事でした
ただ、今まで誰にも言えなかった悩み事を
私に話してくれて、私は聴くことで
相手が前向きになれる
私なんかでも人の役に立てる
今思えばその時に学んだ
聴く
話を聴くスキルが
現在の私の強みになっている気がします
父の死
司法書士として開業して
10年くらいたったときに
東日本大震災と私の父の死がありました
震災では多くの命が奪われ
私自身も初めて「身内の死」を迎えた
末期の肺がんで病気が分かってわずか
3週間で迎えた父の最後に私は
「こんなにあっさり死んじゃうの?」
という悲しいより驚きの方が先に立ちました
こんなにあっさり父が亡くなったことで
自分もあっさり死んでしまうかもしれない
今までの生き方を変えようと決意しました
多重債務の仕事は私の天職でしたが
10年も経つと相談窓口は増え
私が役立つことも少なくなりました
そして何より私自身が消耗していて
自分の提案で相手もハッピーになれて
私もハッピーになれる仕事をしたいな
そう思って多重債務以外の仕事に
着手し始めました
おひとりさまの母
父が亡くなって数年の間
何でもない時に悲しくなるんです
生前はろくに口をきかなかったのに
いなくなるとポッカリ心に穴の開いた気持ちになる
私以上に母の落ち込み方がひどかった
母には私がいるから良いけど
世の中には子どももいない
子どもがいても遠方に暮らしていて
なにかあったときに手助けをしてくれない人もたくさんいる
母のように連れ合いを無くして
「おひとりさま」になった人をサポートしたい
そう思って
年配の方のサポート
見守り契約をお勧めするようになりました。